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大豊建設 能登復興プロジェクトスペシャルインタビュー

農業は、人を元気にする。

故郷の田んぼを守り続ける
地権者が語る、復興への想い

DAIHO CORPORATION 大豊建設 能登復興プロジェクト
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石川県輪島市町野町・敷戸地区。
能登半島地震、そして奥能登豪雨によって、この地域は二度にわたる大きな災害に見舞われました。田んぼには大量の土砂や流木が流れ込み、畦や用水路も失われ、多くの農地が営農できない状態となりました。
それでも、この土地を諦めず、復旧を待ち続けてきた人がいます。
敷戸地区で16年間農業を続けてきた田浦広信さんです。

田浦 広信 様
敷戸地区 在住
田浦 広信 様
所長としての想い

「ようやく農業を楽しもうと思った矢先でした」

もともとは建築の仕事に携わっていた田浦さん。お子さんへ仕事を託したあと、「これからは農業を楽しもう」と思い、16年前にこの土地で本格的に農業を始めました。
最初は数枚だった田んぼも、「ここも耕してみないか」と周囲から声が掛かるようになり、少しずつ耕作地を増やしてきたといいます。
ところが、その矢先に発生した能登半島地震。
さらに追い打ちをかけるように豪雨災害が発生し、長年手入れを続けてきた田んぼは土砂に埋まり、集落も大きな被害を受けました。
「最初は、なんでこんなことになったんやという気持ちしかありませんでした。」
復興を考える以前に、地域の人たちが無事なのか、どこへ避難したのか。それを確認することで精一杯だったと振り返ります。

所長としての想い

農地だけではなく、地域そのものが失われた

かつて敷戸地区には多くの家が建ち並び、人々が暮らしていました。
しかし、地震で損傷した家屋は、その後の豪雨による土石流によってさらに被害を受け、多くの住宅が失われました。
「地震でなんとか残った家も、豪雨で流されてしまいました。」
現在も多くの住民が金沢などへ避難したままで、戻りたくても戻れない状況が続いています。
田浦さん自身も、この土地で生まれ育ちました。
「他の街に行くと、地震なんてなかったように見えるんです。でも、ここへ帰ってくると現実を見ることになる。それがつらくて、あまり外へ出なくなりました。」
それでも、この土地を離れることだけは考えなかったと話します。

「少しずつでも良くなる」その希望が見えた

復旧工事の話を聞いた当初も、「すぐに農業ができるようになる」とは思えなかったそうです。
仮設住宅への入居や生活再建など、目の前には農業以外にも多くの課題がありました。
そんな中で始まった農地復旧工事。
豪雨による河川の氾濫で土砂が流れ込み、畦道やもとの田んぼの土と氾濫によって堆積した土砂との境界が分からなくなっていました。設計図もない中で施工範囲を決めることから始めなければならず、その作業自体が容易ではありませんでした。加えて複数の地権者が離れた場所に避難されており、現地に所有者がいない農地も少なくなかったことが、状況をさらに難しくしました。境界確認や施工範囲の調整は、最初の大きな課題でした。
「知らない土地で、地主さんもいない中で工事をする。本当に大変だったと思います。」
田浦さんは、工事を進める現場の苦労を間近で見ていました。

所長としての想い

「ここでいいですか」と、一つひとつ確認しながら

工事では、土砂や流木の撤去だけでなく、畦道や用水路の復旧、田んぼの整地まで、一枚ずつ丁寧に施工が進められました。地権者と施工範囲を確認しながら元の地形を復元していくことが重視されていました。
田浦さんの印象に残っているのは、大豊建設の現場担当者の姿勢でした。
「腹も立てず、『ここでいいですか』『こちらで大丈夫ですか』と、一つひとつ確認しながら進めてくれました。」
工事中には、さらなる豪雨や想定外の対応を迫られる場面もありました。それでも現場は復旧を止めることなく、一歩ずつ作業を進めていきました。
「知らない土地で、図面もなく、住民もいない。あんな工事は本当に大変だったと思います。」

所長としての想い

復旧は終わりではなく、ここから始まる

現在、農地は営農を再開できるところまで整備されています。
しかし、田浦さんにとって本当の復興は、まだその先にあります。
用水設備は完全には復旧しておらず、水を張ると漏れてしまう田んぼもあります。今後も水源や農業インフラの復旧が欠かせない状況です。
「一日でも早く農業を再開したい。でも、こういう仕事は私たちだけではできません。」
行政や工事関係者、多くの人たちが力を合わせて復興を進めることへの期待を語ります。

所長としての想い

「農業は、人を元気にする」

田浦さんは、避難先で暮らす地域の人たちの変化も見続けています。
金沢へ移り住んだ人たちは、狭い部屋で暮らし続けることで元気を失ってしまうことも少なくないといいます。
一方で、畑へ戻り、じゃがいもや野菜の芽が出る様子を見に来ることを楽しみにしている人もいます。
「農業って、お金儲けだけじゃないんです。」
「作物が育つのを見ることが、生きる力になる。」
「農業は、人を元気にする仕事やと思います。」
だからこそ、一日も早く道路が整い、水が戻り、人がまたこの土地へ帰ってこられる日を願っています。

「復興には、続けて関わる人が必要です」

最後に田浦さんは、これから復興に携わる人たちへ、こんな想いを語ってくれました。
「もちろんボランティアの方にも感謝しています。でも、こういう大きな復旧工事は、やっぱりプロの力が必要です。」
一度現場を知った人が、そのまま関わり続けてくれること。
土地の特徴や地域の事情を理解した人たちが復興をつないでいくこと。
それが地域にとって、何より心強いことだといいます。
「まだ復興は終わっていません。でも、一歩ずつ前には進んでいます。」
その言葉には、故郷を信じ続ける人だからこその重みがありました。

所長としての想い

※記載内容は取材当時の情報に基づいています。