社会貢献

中央ぷらねっと『浜離宮恩賜庭園 庭園整備・除草活動』に参加しました

2022.06.03
中央ぷらねっと『浜離宮恩賜庭園 庭園整備・除草活動』に参加しました

2022年5月21日(土)、当社は企画本部の執行役員福田浩二副本部長をはじめ、コーポレートコミュニケーション部の稲垣好泰部長、横江保人次長、中西未樹課長代理、清水浩二職員が東京都中央区の中央ぷらねっと(中央区社会貢献企業連絡会)主催の『浜離宮恩賜庭園 庭園整備・除草活動』に参加し、庭園整備・除草活動を行いました。(降雨により途中中止)

集合写真
(左から)大豊建設 中西課長代理・清水職員・福田副本部長・稲垣部長・横江次長

 

除草状況(福田副本部長)
除草状況(稲垣部長)
除草用工具(草抜き)

 

集合写真


『浜離宮恩賜庭園』は、潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園です。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
 旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、浜離宮恩賜庭園だけです。
 この地は、寛永年間(1624~1644年)までは将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重です。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
 以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。

明治維新の後には皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年(1945年)11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年(1946年)4月有料公開されるに至りました。なお、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年(1948年)12月には国の名勝及び史跡に、同27年(1952年)11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。

浜離宮恩賜庭園ホームページ

 

浜離宮恩賜庭園
(出典元:公共財団法人東京都公園協会)
園内マップ
(出典元:公共財団法人東京都公園協会)


本イベントを開催した『中央ぷらねっと』は、「地域とともに歩む」ことをコンセプトに、「中央区」を社会貢献活動のフィールドとして区内に拠点を置く有志企業と中央区社会福祉協議会ボランティア・区民活動センターで構成された組織です。平成6年に発足し、今では企業の情報交換などにとどまらず、ワーキンググループ活動など、参加企業が主体性を持って地域貢献活動を企画・実施しています。

活動の一つとして約20年に渡って浜離宮恩賜公園で草取りや「菰(こも)はずし」活動(冬の間松の木を守っていた「菰(こも)」をはずし、菰に隠れていた害虫を退治します。)を実施してきています。コロナの影響により、3年ぶりの開催となりました。

 

菰(こも)はずしの様子
中央ぷらねっとマーク