ケーソン技術
環境保全技術
ニューマチックケーソンの歴史
大豊建設の設立のきっかけとなったニューマチックケーソンの歴史をご紹介します。
1841年にフランスで誕生
圧気を利用した地盤掘削が世界で初めて行われたのは、1841年のフランスのM.トリジェール(M.Triger) によるフランス・ロワール川内の砂洲での鉄筒による掘削・沈設といわれています。この工事では、エアロックを発明したM.トリジェールが、地上で構築した約1mの鉄製円筒状の基礎の上にエアロックを被せ、筒内に圧縮空気を送り込むことにより充満した水を排除し、作業員が筒底に降りて地下水面下約20mまで掘進・沈下させることに成功しました。これがニューマチックケーソン工法の原型とも言われるもので、その後、ヨーロッパに広まったこの工法は、やがてアメリカに渡り独自の発展を遂げました。
圧気工法による世界最初の基礎工事は、1851年イギリスのローチェスター付近の橋脚基礎に採用されたニューマチックパイルでした。その後、この工法は大規模なニューマチックケーソンへと発展していき、19世紀後半にはアメリカのブルックリン橋の基礎やセントルイス橋の基礎、イギリスのフォース鉄道橋の基礎、パリ・エッフェル塔の基礎(4脚のうちセーヌ川に面する2脚)などで採用されました。その後、鉄製のケーソンはヨーロッパでは次第に石積み製となりましたが、引張力が弱く使用されなくなりました。また木材の豊富なアメリカでは、経済上の理由から木製のケーソンが使われましたが、圧気下では木材の乾燥により壁が湾曲して漏気しやすく、また、沈下中に不均一な応力が作用するなどトラブルや火災の原因にもなることから次第に木製のものは使われなくなりました。20世紀の初頭、ニューヨークの下町に建てられた摩天楼(Skyscraper)と称される超高層ビル(地下4~5階建てが多い)の多くにもニューマチックケーソンが基礎として採用されています。当時の掘削作業はすべて人力で、減圧症(ベンズ)も知識不足から多発するなど、さまざまな問題を含んでおりました。また、当時の作業員の賃金も苛酷な労働環境を反映して極めて高く、人力依存度が高い非能率的な工法でもあったことから、きわめて高価な工法でした。ちなみに、減圧症予防の対策が整えられるようになったのは1910年頃からで、すでに1,000人以上がこの病気に冒された後でした。しかし、大規模な地下構造物の施工法が他になかったため、欧米においては、1930年代までこの工法が盛んに用いられ、技術開発も進められました。日本では、1923年(大正12年)の関東大震災の震災復旧事業として米国から技術を導入し、破壊された永代橋、清洲橋、言問橋の新設工事として初めて採用されました。その後、ドイツを除く欧米においては、鉄鋼製品や建設機械の開発が進み、長大鋼杭やオープンケーソンなどの新工法が開発されると、高価で労働条件が過酷なこのニューマチックケーソン工法は嫌われ、1930年代の10年間に、急速に採用されなくなってしまい、その傾向は現在まで続いています。これに対して、日本とドイツでは、第二次世界大戦の最中でも、ニューマチックケーソンが営々と採用され続けました。これは、両国とも絶望的な戦争の渦中にあったため、特に日本では軍用以外の目的に鋼材等の重要資源を割り当てる余裕が全くなく、ニューマチックケーソンを凌駕するような鋼材多用の新工法を開発する余力が全くなかったためでした。
豊満ダム建設で、
「大豊式ニューマチック
ケーソン工法」が誕生
1936年(昭和11年)、旧満州の第二松花江(川幅700m~800m)の豊満ダム建設が行われます。このダムはコンクリート重力式ダムで、堤長1,200m、高さ91m、220万㎥の当時世界第二の巨大ダムでした。1939年(昭和14年)に左岸仮締切工事が始まるも、極寒の水中コンクリート工事は困難を極め、右岸締切提に連結する途中の河底に蛇篭や玉石などの障害物が凍結して、容易に取り除くことはできませんでした。この時、「簡易式ニューマッチクケーソン」を河底に沈めて障害物を除去し、その後、岩着させ底詰めコンクリートを打設して止水壁の一部とするアイデアが生まれました。このケーソンは、通常のニューマチックケーソンの作業室の上に、もう一枚のスラブ(床版)を設け、気閘室(ロック)を形成して水面下の掘削作業をより安全・快適に行えるものでした。これが後年の「大豊式ニューマチックケーソン工法」の基礎となりました。その後、豊満ダムに関わったメンバーが1949年(昭和24年)に大豊建設を発足。1951年(昭和26年)に着手した利根川左岸の「大渡橋地先護岸工事」にて、鉄筋コンクリートによる二重スラブ構造内に設けたエアロックにより掘削土砂搬出と加減圧作業を行う「大豊式ニューマチックケーソン工法」を提案し、戦後初めて採用されました。1951年(昭和26年)12月には「水底地層又は湧水地層に、コンクリート構造物を建設する工法」として「大豊式ニューマチックケーソン工法」の特許(特許No.193732)を取得しました。
- 大渡橋地先護岸工事(群馬県)
- 豊満ダム ニューマチックケーソン工法による
左岸締切内の止水壁工事
大豊建設の技術開発により、
高能率と低価格を実現
戦後の高度経済成長時代に入ると、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを目指して、東海道新幹線や高速道路の整備などの建設投資が大々的に行われるようになりました。そのような情勢下、1962年(昭和37年)以降には、ベノト工法やリバースサーキュレーション工法などの大口径場所打杭工法および連続地中壁工法などの国内への導入・普及により、ニューマチックケーソン工法の適用領域がおびやかされ、ニーズが減少しました。しかしながら、欧米と異なり、日本ではこの工法が消滅することはありませんでした。その理由は、他工法との競争への生き残りを賭けて、高能率で低価格な工法にするための懸命な技術開発が行われ、圧気作業室内における掘削作業の機械化(天井走行式掘削機など)、合理的なケーソン基礎構造物の設計手法の確立、主要な作業の遠隔操作による無人化技術などの技術革新とコスト縮減に成功したからです。
地震に強く、さまざまな用途への
期待が高まる
1964年(昭和39年)6月の新潟地震では、ニューマチックケーソン工法を採用した萬代橋での被害がほとんどなく、1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震でもニューマチックケーソン工法で施工したものは被害をほとんど受けなかったことから、ケーソンは予想以上に地震に強い構造物という事実が判明し注目を集めています。一時、鋼材価格の低下などに伴って現場施工の簡便な鋼製ロックが普及するにしたがい、採用数は減りましたが、昨今、ニューマチックケーソンの大深度化や大型ケーソン工事の増加に伴い、工事の安全確保・作業環境の改善・コスト縮減等が求められ、1987年(昭和62年)~1990年(平成2年)のレインボーブリッジ基礎においては二重スラブが復活し、採用。その後も1997年(平成9年)~1999年(平成11年)に施工した東北縦貫自動車道 馬淵川橋(下部工)工事では、従来の大豊式ニューマチックケーソン工法をリニューアルし、当社で開発した新技術を組み合わせた「新大豊式ニューマチックケーソン工法」(現在の New DREAM工法)が採用され、その効果が見直されています。現在では、橋梁の基礎や、雨水貯留施設に関連するポンプ場、シールドの発進立坑などで利用されています。
審査証明・特許・受賞等
- 新技術情報提供システム(NETIS)登録
- ・DREAM工法、New DREAM工法
(NETIS番号:(元)KT-990343-VE )
- 国土交通省テーマ設定技術募集システム
(平成15年度) - ・建設分野における画期的な技術(DREAM工法)
- 新技術研究成果証明
- ・(財)下水道新技術推進機構
- ・無人化ニューマチックケーソン工法による雨水貯留施設構築に関する研究 (第19003号)
- ニューマチックケーソン特許リスト(抜粋)
- ・ニューマチックケーソン(二重スラブで掘削機械の整備室を設けたケーソン) (特許No.3470894)
- ・地耐力試験方法および装置(掘削機に装着し遠隔で操作) (特許No.2747896)
- ・ケーソン(多室二重スラブ) (特許No.3349974)
- 土木学会賞 田中賞作品部門
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平成5年度 レインボーブリッジ平成5年度 東神戸大橋平成10年度 白鳥大橋平成15年度 北上大橋平成20年度 矢部川大橋平成29年度 小名浜マリンブリッジ